黒川元検事長「賭け麻雀問題」に見る新聞・テレビ・週刊誌報道の違い

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2021年の「編集者が選ぶ 雑誌ジャーナリズム賞」の受賞作が決定し、週刊文春による「黒川東京高検検事長は接待賭けマージャン常習犯 現場スクープ撮」が大賞に選ばれました。この一件、新聞二社が渦中にいたことで、マスコミのあり方が強く問われる事態となったことは、まだ皆さんのご記憶にも新しいことと思います。

いわゆる「定年延長問題」で騒がれている最中でのスクープでした。検察幹部の立場で、まして自粛要請下にある期間に違法行為に走っていたことは呆れるばかりで、国会でも大きく取り上げられていました。

この黒川氏、および検察庁における問題とともに、一緒に卓を囲んでいた産経新聞の記者、および朝日新聞の元記者に対しても注目が集まりました。

 

「なぜ書かない??」

むしろ公権力に抗う役割を担う新聞記者でありながら、こんな大問題を世に知らせるどころか、一緒になって遊んでいるとは・・・。

書かないというより、「書けない」という方が正確な表現でしょうか。新聞やテレビなど記者クラブに含まれているメディアは、検察のみならずあらゆる権力者に近づき、他社を出し抜くネタを得るため、あるいは他社に抜かれないように、必死にその権力者と人間関係をつくっているのです。極端な話、権力者側からすれば、都合の良いネタを記者に与えていればそれを発信してくれるわけで、かつメディア側も新しいネタをニュースにできるわけで、win-winな関係が成り立つのです。黒川氏も、こうして都合の良いことだけを発信してくれる記者を優遇している側面がきっとあったのでしょう。これでは、公権力に抗うどころか、権力者の都合の良い情報だけが世に流れるだけですよね。こうしたマスコミの闇の部分が明るみになった事件でした。

たしかに、プライベートの深い部分まで入り込んでいる点は、記者として評価に値することでしょう。ですが、入り込むだけで何も書けないのなら、そこに何の意味があるのでしょうか。

ここで、「雑誌ジャーナリズム」が力を発揮したわけです。雑誌は、記者クラブなど新聞やテレビに与えられる特権は何もありません。だからこそ、人間関係のしがらみにとらわれることなく、取材すべきことを取材し、書くべきことは書くということが(当たり前のことのようですが)できるのです。このスクープで、“大手メディアを含めた”権力に抗う、雑誌社の役割が、一般の人にもわかりやすく映ったことと思います。

もちろん、新聞社やテレビ局があるからこそ、日々のニュースが得られるわけで、両者によるスクープも無数にありました。本当に正義感をもってジャーナリズムに向き合う人もたくさんいるでしょう。それらは、この一件だけで否定されるものではありません。それでも、権力と密着する仕事である以上、このような問題は付き物なのです。ジャーナリズムの形はさまざま。それぞれが互いの襟を正し、より良い報道に繋がっていくことを願っています。

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