テレビで何度も放送された「恥を知れ!恥を!」発言で一躍時の人となった、安芸高田市の石丸伸二市長。
ここ1、2年の間では、YouTubeでの地元議員や地元記者に対する“論破動画”などで、良い意味でその知名度を高めることになりました。
「地元議会の古き利権」
「不勉強なのに偉そうなマスゴミ」
という、“わかりやすい敵”をバッサバッサと斬りつけていく姿に、少なくともネット上では市長を応援する声に溢れているように見受けられますが、この評判は盲目的に信じて良いものなのでしょうか。
フラットな目線で、石丸市長の実態について考えてみたいと思います。
議会との対立
まずは簡単に、市長の“論的”との対立の経緯について振り返っておきましょう。
そもそも市長は安芸高田市生まれで、京都大学を卒業後、三菱UFJ銀行のアナリストとしてニューヨーク勤務も経験するなど、絵にかいたようなエリート銀行マン。それが、「河井克行選挙違反事件」をめぐって安芸高田市の前市長が辞職したことで、地元の首長に空席が生まれることに。そこで2020年8月に開かれることになった市長選に、もともと政治に興味を持っていた石丸氏が出馬、見事当選を果たした形です。
しかし、そんな“優等生気質”故か、改革意識の高さ故か、あるいは地元の利権という“パンドラの箱”に手を入れてしまったからか、当選直後から市議会とは揉めに揉めることになります。
まず、当選直後の9月の市議会で居眠りをした市議会議員について、市長がツイッターで指摘したことを機に対立が始まりました。これもそれなりのニュースになっていたので、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。
象徴的だったのは、2022年、「議員の質を高めるため」という理由で、16の議員定数を半分にする条例改正案を提出したものの、賛成1、反対14という大差で否決という結果に終わったことでしょうか。このときに、議員からの「議会軽視だ」という指摘に対して、
「居眠りをする、一般質問しない、説明責任を果たさない。これこそ議会軽視の最たる例です。恥を知れ!恥を!…という声が上がっても、おかしくないと思います。どうか恥だと思ってください」
という、あの「恥を知れ」発言が飛び出したというわけです。
その後の市長vs議会の様子は、いくつもの動画がバズっていますから、皆さまご承知の通りかと思います。
地元紙との対立
こうした流れの中で、地元紙の雄・中国新聞(中国地方のブロック紙)との対立も深めていくことになります。
どちらかというと市長を評価する記事が目立つ中で、中国新聞は、早い段階から批判的な記事も積極的に展開していたことに、市長が目をつけることに。
こうした記事が書かれると、記者会見の場で「なぜこのような記事を書いたのですか」「どのような取材をしたのですか」「なぜ答えられないのですか」と担当記者を問い詰めるようになりました。
それで記者側がうまく答えられなくなると、「偏向報道だ」と断じ、やがて中国新聞にだけ市からの情報提供を止めたり(通常、行政に関する情報を、各メディアの担当記者に流すルートが存在します)、同社の記者が会見に顔を見せた際に「なぜあなたがいるのですか」などと何度も論争に発展したりする事態となりました。
こちらもまた、市長vs中国新聞の動画がバズっていますから、皆さまご承知の通りでしょう。
なぜ支持されるのか
これらのバズっている動画のコメント欄を見て見ると、地元議会という利権に食い込み、また地元で胡坐をかくマスコミに対して、正論で戦っていく姿に対する共感コメントが目立ちます。
実際、市長の見せ方がうまい感も否めないですし、「そんなところにそこまで言うか」というシーンも少なくないのですが、やはり市長の主張は的を射ているものが多く、正論できれいに論破していく様には、正直気持ちの良さを感じます。
まして、ネット上では叩きの対象になりやすいマスコミや地方議員が相手ですから、市長による論破で溜飲が下がるという方は多くても不思議ではありません。
特に、おじさん・おばさんがなあなあで運営している市政の悪い部分が目立ってしまったことで、地元議員の悪役ぶりも際立ってしまったところはあるかと思います。言ってしまえば、「老害」としての色が強く出ているということです。
ですが、言ってしまえば、動画で市長にボコボコにされているような議員は全国にはいくらでもいますし、またあえてやられている側をフォローするなら、動画では論破されてしまっている議員でも、別の活躍の場があり、それなりに市民の指示は得ているという面もあるにはあるんですよね…。
またマスコミ寄りの見方になってしまうかもしれませんが、中国新聞(ほか市長にボコされている記者ら)にも少し同情してしまう面はあります。
たしかに、市長に比べて不勉強だと感じられるシーンがあるのは否めませんが、そもそも市長と同じ土俵に闘ってしまったら、頭がキレ、弁の立つ市長にはなかなか勝てないでしょう。「本当はこう返してやりたかった!」と思っている記者も少なくないのではないでしょうか。
市長側に不都合な質問をぶつけようものなら(本来それがマスコミの仕事のはず)、よほどの理論武装ができていない限り、ボコボコにやられてしまう。そしてその様子が動画でそのまま公開されてしまうのが当たり前になっているとあれば、そのストレスは察するに余りあるところがあります。
まあ、反論するならちゃんと勉強しておくべきだというのはもっともな指摘なのですが、現場の記者さんたちも忙しい日々を送っているので、ちょっと同情してしまうところはあるんですよね(笑)
まして、市長側もなるべくわかりやすく説明はしているものの、マスコミ側をバカにする態度が見え隠れしたり、とるにたらないレベルの発言でも見逃さずに追及したりするので、正論は市長側にあるとしても、ここまで世間から叩かれるほどのことではないのに…とは思ってしまうわけです。記者側が頻発する「取材の経緯については話しません」という言葉も、あのような公開の場で取材の経緯を明かすなんてことは通常ありませんから、仕方のない答え方である面もあるのですが、一般の方々からすると、「なんで説明できないんだ。やましいところがあるんだろう」と映ってしまってしまいますよね(それにしても、もう少し市長側に寄り添って回答しても良いような気はしますが)。
とはいえ、やはりどちらに分がある議論かというと、やはり市長側に正論があるからこそ、ここまで支持されているわけです。ここで言いたかったのは、バズっている動画に表れているのがすべてではなく、議員や記者側にも、それなりの言い分はあるだろう、ということです。
2つの裁判で負けている
ここまで世論が「市長頑張れ」に傾くと、市長側に不都合な事実はあまり語られないところがあります。
直近で、市長が敗訴となる判決を複数受けていることを、皆さまはご存知でしょうか。
まず1つ目は、石丸市長が当選した選挙をめぐっての訴訟です。
市長のポスターやビラの製作を請け負った印刷会社が、報酬の一部しか支払われていないとして市長を提訴したのですが、これは一審、二審ともに市長側が敗訴、市長に対する追加の支払いが命じられている状態です。
いまだに市長から反省の弁は述べられていないようですが、最高裁までもつれることになるのでしょうか。
2つ目は、議員側が「市長に名誉を棄損された」として起こした訴訟です。
これは、市長が「とある議員から恫喝された」と、名指しでSNSに投稿したことが発端になっている訴訟なのですが、これもまた広島地裁から市長側の敗訴判決が出ています。
もちろん、この2つの「敗訴」があるからといって、市長が悪者だと断ずることはできないでしょう。
ただ、正義のヒーローと言わんばかりの声に溢れる中、このような判決を複数受けている事実も、眼をそらしてはいけないところなのではないでしょうか。
評価というものは本来、こうしたあらゆる面をしっかり考慮した上で行うべきものだと思ってしまうのです。
ネット世論
最後に、「我々はネット世論に引っ張られる」ということについても言及しておきたいと思います。
YouTubeやTwitterなどでは、市長を応援し、議員や地元紙を批判する声が目立ちます。
ですがこれらの声、本当に世論をそのまま反映したものといえるのでしょうか。
実際のところは、わざわざそのようなネット空間でコメントをしようと考える人なんて、ごくごく少数だというのがリアルなところなのではないでしょうか。
大多数は、別にどちらを応援するつもりもなく、ただ静観するだけか、あるいはただ論破コンテンツとして楽しんでいるだけなわけです。
つまりは、ネット空間では声をあげない、“サイレントマジョリティ”という存在が、見えないところにあるということなのです。
ですが、これらの大多数の考えは、ネット世論には反映されません。ネット世論に表れるのは、「わざわざネット上でコメントをする」ような人の声だけなのです。
この事実を知っていれば、ネット世論が必ずしも「本当の世論」とは思わずにいられると思うのですが、ふつうにネットを見ている中で「大多数の声」というものがあると、どうしても引っ張られてしまうのが人間です。
市長を擁護する声ばかりが目立つのも、こうしたネット世論に引っ張られている面が少なからずあるわけです。ネットでの声を見ることで、何となく「市長は正論を言う改革者なんだな」と盲目的に思ってしまうものなのです。
これを一概に否定するつもりはありませんが、少なくとも、ネット世論というものは世の中のごく一部の声でしかないことは把握した上で、市長という人物を見ていくべきだと思います。
ということで、安芸高田市の石丸市長の評判について、フラットな目線で考えてみました。色々な意味で、安芸高田市政にはこれからも目が離せないところです。
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